3月-①

オムライスを作るのが上手くなってきた。元来ウチはケチャップライスではなく、コンソメライス派で「ケチャップは後でかけるし、わざわざケチャップライスにしなくてもいいのでは?」が母の教え。ぶっちゃけどっちも美味しいので気分で決めれば良い。卵をかき混ぜる時は一緒に、マヨネーズ少々、牛乳少々、砂糖少々を入れると美味しくなるんですよ(笑)と3分クッキングさながらのナレーションで呟いてみたりもするが台所には自分1人なので誰にも届かない。所謂これが隠しスパイスというやつだな♬と自分を納得させる。イメージしてた1.4倍の大きさで毎度完成するネルビーツオムライスはなんだかんだ美味しい。憂鬱な気分で皿洗いをするのは免れた。ナイスオムライス。

 

 

 

3月-②

今年の楽しみはなんといってもWBCで、流行り病の影響で2017年ぶりの開催という事もあってか肩に力が入っている野球好き達が年末あたりから散見した。もれなく自分もその1人である。大きな大会や観たかった映画、好きなバラエティなどを楽しむときは決まってアイスだったりポップコーンだったりを相棒にして鑑賞するのが毎度の流れだが、始まって5~15分で無くなるこの食べ物達は果たして相棒と呼べるのだろうか?みたいな気持ちにもなる。試合中はハラハラドキドキして、普段は出ないようなアドレナリンが身体を巡るし贔屓の選手がグラウンドに立つとやっぱり嬉しい。自分より年下の選手がいると「この歳の時は、寿司屋でバイトしてて柄にもなく板前さんと大喧嘩したな!」とか物思いに耽ったりもして、思わぬところでノスタルギースイッチが入る。大会終了後は、反動で無気力な日々が暫く続きそうなんて思ったりもしたが、友達と花見をしたり幼馴染の結婚式についての打ち合わせだったりでぶち上がったので何の心配も無いなと確認。来年もまたお花見したいですね。

 

追記

KATのお花見飯マジで美味い。

 

 

 

4月-①

歳を重ねるごとに段々と朝が好きになってきた。ちょっと前までは深夜の時間帯にビートを作る事が多かったし、休みの日は大体お昼くらいに起きるのが常でザックリ言ってしまえば夜型人間だった。しかし日々生活を続けていると、トライアンドエラーではないが自分に合った生活リズム?みたいなものが分かってくる。朝イチで飲むぬるくした水が凄く美味しいこと、太陽の陽を浴びるとほんの少しだけ前向きになれること、朝9~12時辺りが1番音楽制作が捗ること。それ以外の時間帯で言うと、夕方は気持ちがダレやすくゴロゴロしてしまうこと、夜はラジオないし音楽を聴きながら散歩をするのが最高なこと、とかである。でも未だに、歯磨きしてすぐに飲む朝のコーヒーの味は最悪で、歯磨き粉の爽やかさとコーヒーの酸味が合わさって思わず眉を顰める。それと同時に、何故かしっかりと地に足がついてる感覚にもなる。自分が今置かれている状況、身の丈を見極めるには夜通し考え込むより「歯磨き粉味コーヒーまずっ!!」とか思ったりする瞬間が、よりフラットにより前向きに自分を再確認出来る気がする。

とはいえ毎朝ぬるい水を飲むこのルーティン。自分にとって良いことだとは思いつつも似たような事柄が重なり、いつかは自分ルールに囚われたガッチガチの頑固野郎になってしまうんではないか?って思ったりもする。自分の考えの範疇(自分ルール)を飛び越えた人を見つけるとすぐに非難する人間になってしまいそうなのが怖いから。なのでまずは学生時代からの「左ポッケにハンカチ、右ポッケには携帯」の自分ルールを壊したり、いつもとは違う帰り道で今日は帰ってみたり、パスタ屋さんで毎週注文する醤油味のパスタではなくトマト味にしてみたりする。そうやって余計なルーティン、自分ルールはどんどん削ぎ取っていきたい。あとこれは幼少期から続く俺の凄まじい飽き性がただただ加速しているだけでは??なんて思ったりもしたが、今はハンカチと携帯をどこにしまうかだけを考える。抱える悩み事なんかそんなもんでいいすな。

 

 

 

4月-②

毎月2~3回は見る夢がある。高校野球部時代、グラウンドに向かう道中の光景だ。平日は、16時から22時くらいまで練習、土日は8時から20~21時頃まで練習の毎日だった。謙遜抜きで下手くそだったので、野球の楽しさに気付かないまま引退したと思う。失敗にビクビクしながらプレーしていたし、何度も試合でフライを落としてはその場で交代する。エラーして外野からベンチに戻っていく時に感じる味方の感情、相手からの視線、保護者席からの同情の目、ベンチの床に敷き詰められたコンクリートに響くスパイクの音は今でも鮮明に覚えている。外野から戻ってくるだけで、こんなにも注目を集めるのはまるでイチローですな(笑)と思える度胸を当時の俺にクレメンス。追い討ちで監督にも怒られるので「このままグラウンド爆発しないかなワロス」なんて思ったりした。ダイヤのAかなんかで下手くそだけど野球が大好きな選手がいて、そんなん嘘だろ??はい解散解散!!と吹いていた高校時代の自分もその夢と一緒に思い出す。

部活を引退して8年は経ったが、昨日何故か思い立ったようにグローブを持って1人公園に向かっていた。1人で野球しようと外に飛び出たのは高校生以来である。公園には野球選手の先客が2人いて、公園の周りを2周ほどウロウロしてから胸を張ってグラウンドに入る。「ははっ!!動揺なんかしてる訳ねぇだろ(笑)」と心の中で叫びつつ、控えめなウォーミングアップをして壁当てを始めた。すると驚いた事に現役時代より良い球を放っている自分がいて、体重移動が格段に上手くなって肩の動きも滑らかになっている(気がする)。そして何より楽しい。メンタルと身体ってこんなにも密接なものなのかと驚きつつ、その日は肩で息をするほど投げ込んだ。いつの間にか先客はいなくなって、公園には自分1人だけになる。茂みがさっきからガサゴソしてこわっ!と思っていたらネズミが走り回っていて、俺のストレートどうよ?なんて今にも聞いてしまいそうだった。「トラウマも時間が経てば楽しくなることってあるのですねぇ。そんで楽しい気持ちって上手い下手とかじゃなく、もっとシンプルなものなのかもですねぇ。」と帰路自転車を漕ぎながらロマンチックに浸る。楽しい気持ちの正体はまだ分かっていないが、このまま一生グレーゾーンでもいいななんて思う。グラウンドで早く壁当てして次はカーブを習得したい。

 

 

 

某日-①

人生は一瞬なんてよく言うが、逆立ちしてる時は永遠にこれが続くのではないか??と思う。ちょっと前から朝イチで逆立ちを毎日していて、寝起き即反抗期よろしく重力に逆らう。これは何の為にやってるんだ?っていう事を意味も無く続けるのが好きで、以前はエレベーターに乗ったら必ずタップダンスの練習していた。勿論タップダンスの知識はこれっぽっちもない。けど踵の鳴らし方がちょっと上手くなったななんて感じると頬が緩む。ほんのちょっとの時間「タップダンサーの新星がここにいるぜ(笑)」なんて鼻息が荒くなるわけだ。謎の天狗精神と誰にも気付いて貰えないこのお遊びは何の意味もない。何の意味もないがなんか楽しい。この思考は小さい頃からのクセみたいなもので、例えば学生の頃宿題をしなければいけない渋い状態を「渋っ!渋沢栄一じゃん...」とか、「うわっ、このお弁当ウマ過ぎる...ウマべラス加藤じゃん...」など感情を歴史上の人物だったり、存在しない人物に当てはめる遊びを脳内で長い事やっている。これを友達に言ったところ変な空気になったので、今はこうしてブログの肥やしのネタにするしかない。切な過ぎる...刹那・F・セイエイ...。とりあえず今は、俺って逆立ち界の新星じゃん…なんて思いながら散歩する。次はどんな意味のない事を続けてやろうか。

 

追記

中学生の頃「スーパーあっち向いてホイ」という遊びを考案したり何かと謎の新ゲームを作るのも好きだった。スーパーあっち向いてホイは普通にオモロいので友達は今度一緒にやりましょう。